キリスト教のなかにひそやかに息づく古代異教の神々の声
読んだ本の感想は終始一貫してメディア・マーカーでまとめているんだけど、なにやらすっかりご無沙汰になってしまったので、これからはこちらのブログにも書こうかなと思っています。重複することになるので、MMのほうはメモ的に使用するだけにするかもしれません。
- 作者: フィリップヴァルテール,Philippe Walter,渡邉浩司,渡邉裕美子
- 出版社/メーカー: 原書房
- 発売日: 2007/03
- メディア: 単行本
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聖人信仰とは、キリスト教定着以前に存在した宗教の多神教を好む傾向を、キリスト教の一神教という枠組みにとりこもうとしたものだと考えられる。
第4章「インボルク祭」の聖ヴァランタン(ウァレンティヌス)にかんして書かれたこの言葉に、本書のすべてが要約されていると思う。キリスト教文化圏に滞在したことのあるひとなら、聖人の祝日や、それにまつわる儀礼や風習があることは知っているだろうけれど、時にあまりにもキリスト教らしくないことに、疑問を感じたことがあるのではないだろうか。クリスマスの樅の木なんていかにもキリスト教らしくないし、ハロウィーンがその最たるものといえるが、カルナヴァル(カーニヴァル)や聖ヨハネの火など、いかにも異教の匂いがする。以前から、このようにキリスト教のなかに吸収されてはいながらどこか異教の要素を残した暦上の風習などに興味があったので、本書はその意味で存分に好奇心を満足させてくれた。
キリスト教布教の過程で行われた異教の隠蔽、いいかえれば異教信仰との習合の痕跡を、キリスト教的な儀礼・習俗のなかに読みとることができる。著者のヴァルテールは中世文学の専門家なので、クレチアン・ド・トロワなどの中世文学をはじめとし、民俗学的な著作や民話、キリスト教の聖人伝(代表は『黄金伝説』)などなどを参照しつつ、こういったものの背後に見え隠れする異教の神々の姿を丹念に明らかにしていく。その分析は精緻かつスリリングだ。
フランスが中心なので、いきおい異教といってもケルトが中心となるが、悪魔がたいていケルトの神々や妖精であるという点も説得力に富んでいる。時おりさすがに牽強付会ではないかと思われる箇所もなきにしもあらずとはいえ、読み手のほうの知識が足りなくて、こじつけであるかは残念ながら判断しえないところ……。ヴァルテールの著作はあまり翻訳が出ていないようで、他を読みたければ原書を当たるしかないのがとても残念。
関連書籍:
『フランス中世文学集(1~4)』(白水社)
ヤコブス・デ・ウォラギネ『黄金伝説(1~4)』(平凡社ライブラリー)
- 作者: ギラルドゥスカンブレンシス,Giraldi Kambrensis,有光秀行
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 1996/12
- メディア: 単行本
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※ 特に「ギジュマール」が重要。
※中世人の死生観を探るにはこちらの本が必読かもしれない。
「煉獄」の誕生
『神曲 煉獄篇』の冒頭、まえがきにもあるように煉獄という概念が誕生したのは十二世紀のことらしい。より正確には、1150年代以降にあらわれた概念だという。訳者の原さんによると、それまで死後の世界は天国と地獄しか存在せず、現実の身分も貴族階級(聖職者も含む)とそれ以外の人々(農民など)の二階級しか存在しなかった。だが、商業経済の発展により都市が勃興し、この頃に「市民」という第三の階級が出現する。そして、現実の身分階級が三つに分かれるのと呼応するかのように、死後の世界も地獄・煉獄・天国の三つに分かれたのだという。
つまりは、煉獄の誕生と市民の誕生とは軌を一にしているわけですね。
現実社会の階級に応じて死後の世界もというあたりに、妙に合理的というかヨーロッパ的な発想を感じてしまう。とはいえ、現実の身分が死後にまで引き継がれるわけではみじんもないのだが。
■語源
フランス語で煉獄はPurgatoire、イタリア語ではPurgatorioという。語源はいずれもラテン語のPurgatoriumだが、この語に明らかなように、「浄める」「浄化する」という意味を持つ。
煉獄(れんごく、ラテン語: Purgatorium)とは、キリスト教、カトリック教会の教義で、天国には行けないが、地獄に墜ちるほどでもなかった死者が清めを受ける場所のことである。『カトリック教会のカテキズム』では、「神の恵みと神との親しい交わりとを保ったまま死んで、永遠の救いは保証されているものの、天国の喜びにあずかるために必要な聖性を得るように浄化(清め)の苦しみを受ける人々の状態と説明する(Wikipedia「煉獄」)
地獄に堕ちるほどではない罪を犯した死者が、罪の浄化をする場であるので、澁澤龍彦のようにむしろ「浄罪界」としたほうがイメージしやすいかもしれない(『胡桃の中の世界』)。これもまた前回と同様だが、ダンテの煉獄は、地獄が地底世界にある蟻地獄のような逆円錐形であるのに対し、煉獄はそれを完全に倒立させたような山となっている。七つの大罪に相当する七つの環道に、前煉獄と地上楽園を加えた九つの層からなり、バベルの塔にもどこか似た形状をしている。
■そして、やっぱりなんか萌える
試練の山のごとく煉獄山をひいこらいいながら登っていくダンテとウェルギリウス。その途次、ローマ詩人のスタティウスと出会い、三人で地上楽園へと到達するが、そこでダンテはベアトリーチェとついに邂逅を果たし、ウェルギリウスとは別れることとなる。師匠とはいえ、ウェルギリウスは異教徒なので天国へは行けない。地獄の住人なんですよね。この別れというか、いつの間にか先生がいなくなっていたことにダンテが気づくシーンがね、もう萌え萌えなんですよ……本当にもうどうしてくれようかと。
三十歌より引用:
だが、ウェルギリウスは私達を残して
立ち去っていた、ウェルギリウス、やさしい父は、
ウェルギリウス、救いを求めて私自身の身を託した方は。
滂沱の涙を流しながら、名前を三度も呼ばわるという。そして、ダンテのこの反応に対するベアトリーチェの言がかなり手厳しい。「海将」に喩えられるあたり、ベアトリーチェは優しい母や花の乙女のようなイメージではまったくないようだ。『神曲』を読む前は、勝手にそんなイメージを抱いていたのですが、完全に予想が外れましたね。
「ダンテ、ウェルギリウスが行ってしまったからといって、
まだ涙を流してはならぬ。まだ涙を流してはならぬ。
これとは別の剣によりおまえは涙を流さねばならぬ」。
三回名前を呼ぶのに対し、「涙を流す」というフレーズも三回繰り返されている。ここで「三」という数字が反覆されるのにも何か意味があるような気がするけれども、研究者ではないので深い意味がありそうだと推測するだけにとどめておきます。まあ聖三位一体の三だし、それに『神曲』の中では散々こういう秘数が出てくるので、何らかの意味があってもおかしくはない。そして、これが三十歌であるという点も無意味ではないのだろうな……。
本当はル・ゴフの『煉獄の誕生』を読んでから詳しいことを書きたかったのですが、ちょっと時間がかかりそうなので、とりあえず軽く書くにとどめておきました。後日、秘数についても少しリサーチしたいと思っています。種村季弘の本を読んだ時も出てきたはずなので。というか、すでに地獄篇も煉獄篇も再読したほうがいいような気になっているところ。延々とループすることになったらどうしよう。それもまた、いとをかし?
【追記】ウェルギリウスについて知りたい方はこちらをどうぞ
地獄の形は漏斗形
■かなり以前からダンテの『神曲』は課題図書のように見なしていたにも拘わらず、却ってそれがゆえかなかなか手を出せずにいたのですが、この度新訳刊行を機にようやく手にとってみました。現時点で、煉獄篇まで読破。
西洋の歴史と文化を理解するうえでキリスト教は必須であると思うが、美術は好きな割にたぶん宗教としてのキリスト教に対して苦手意識があったせいか、なかなか手が出なかったのです(『聖書』も未読なんです……恥)。キリスト教文学なのに、なんで異教徒のウェルギリウスが出てくるの? とは疑問に思ってましたけどね……疑問を持ちつつも、追及さえせなんだというダメっぷり。本当に反省してます。結論からいって意外と面白いですね。フィレンツェや当時のヨーロッパの歴史(特に政治史)を知らないとわかりずらい面も多々ありますが、その点今回の新訳は微に入り細を穿つような懇切丁寧な解説がついているので、初学者にもわかりやすい。特に当時の皇帝派と教皇派の対立を軸に読み解いていく手腕は一驚に値する。
アリギエーリ家が属していたのは教皇派のうち白派であり、ゲルフ(教皇派)内の黒派vs.白派の対立抗争の結果、ダンテはフィレンツェを追われることとなる(白派の敗北)。だが、教皇派とはいえ、ダンテ個人は皇帝ハインリヒ7世に理想の姿を見ていたらしく、皇帝派を擁護するような書き方をしている箇所が多々ある*1。ダンテは教皇庁による世俗権の拡張を非難しており、聖俗の完全分離を説いている。煉獄篇を先取りすると、「二つの太陽」のイメージにより、教皇権と皇帝権を同格のものと描いている。
■地獄の形態
表紙にあるようにダンテの地獄は逆円錐形、漏斗の形をしているが、澁澤龍彦によると『聖書』にある地獄を、具体的に描き出したのは西欧においてはダンテが初めてらしい*2
ダンテの宇宙の発生原因が、聖書の歴史的記述とぴったり一致し、おそらくダンテが西欧で初めて、螺線形の地獄の性格な構造を描き出した作家である(「螺旋について」)
地獄は全部で九つの圏からなり、最奥・最下層には堕天使ルシファー(ルチフェロ)がいる(ちなみに、彼が堕天した時の衝撃で反対側が隆起してできたのが煉獄。だから煉獄は山)。これは全宇宙の中心に地球があるとしたプトレマイオスの宇宙観にもとづいている。宇宙の中心たる地球のそのまた中心にルシファーがいる。澁澤の指摘にあるように、あたかもバベルの塔を倒立させたかのような形状をしている。
この新訳の表紙の絵はボッティチェリの『地獄の図』(1490年)なのだが、どういう経緯でボッティチェリが描くことになったのかがぜひとも知りたいですね。まあ調べろよ、ってことなんだけど。
■そして、なぜか萌える
ところで、暗い森のなかをさまよっていたダンテは「理性」の象徴であり、敬愛する詩人ウェルギリウスに出会い、彼の案内により地獄を経巡るわけですが、地獄の水先案内人ウェルギリウス先生が地獄初心者のダンテをなにくれとなく世話を焼いてくれちゃうのですが、ちょっと世話やきすぎじゃない? と思ってしまうほど。師弟萌えが好きなら妄想しちゃうことほぼ確実であると保証します。
神曲は
読めば読むほど
師弟萌え
なんていう萌え川柳も詠んでしまいました。アホですいません。
本書それ自体の詳細なレビューについては、下記を参照のこと:
Éd/zotérique / 神曲 地獄篇 (講談社学術文庫) - メディアマーカー
こちらでは主に形式面について云々してます。
読む本リスト
クランチのほうにメモった必読本リストをこちらにも。一部はすでに読めているので、既読のものは色分けしておきます。一部追加してます(※随時更新)。ぶっちゃけこのペースだと読書だけで寿命が尽きるわ……。
クランチは色分けなどできないので、そのためだけにブログ開設したようなものだけど、なんか続けられる気もしないし、どう使うかについては考え中。別にいらんという気もしてる、すごく。
「読まずに死ねるか」世界名作シリーズ:
『ギルガメシュ叙事詩』
『千夜一夜物語』(バートン版推奨)
『カレワラ』
プラトン『ティマイオス』
プロティノス『エネアデス』
オウィディウス『変身物語』
大プリニウス『博物誌』
ヤコブス・デ・ウォラギネ『黄金伝説』(第一巻の一部だけ既読)
ダンテ『神曲』
『薔薇物語』
『メリュジーヌ物語』 (既読はクードレット版なので、ジャン・ダラス版を読みたい)
アリオスト『狂えるオルランド』
『ロランの歌』
クレチアン・ド・トロワ『ランスロまたは荷車の騎士』
マリー・ド・フランス『十二の恋の物語』
シェイクスピア『リチャード三世』
コルネイユ『ル・シッド』
ボーマルシェ『フィガロの結婚』
ルソー『新エロイーズ』『社会契約論』
モンテスキュー『法の精神』『ペルシア人の手紙』
ディドロ『ラモーの甥』
ラクロ『危険な関係』(たしか途中ではたりと……)
カザノヴァ『回想録』 (パリに出てくるあたりで止まったような)
ハイネ『流刑の神々』
グリム『ドイツ伝説集』(上巻のみ既読)
ゲーテ『イタリア紀行』『親和力』
スタンダール『パルムの僧院』『チェンチ一族』
ミシュレ『フランス史』
フロベール『聖アントワーヌの誘惑』
ユゴー『レ・ミゼラブル』
デュマ『三銃士』
ゾラ『ジェルミナル』
ウィリアム・ブレイクの詩
W・B・イェイツ →詩とケルトとオカルト
イプセン『ペール・ギュント』
プルースト『見出された時』(「逃げ去る女」まで読んだ記憶)
T・S・エリオット『荒地』
ウンベルト・エーコ『フーコーの振り子』
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明らかに18世紀が苦手なんだろ、って感じ。あと、20世紀以降もなんだかあまり興味もてないのです。理論的すぎ、実験的すぎるせいかなー
当方は数年前までフランス文学研究なんてことやってたのですが、始めたのがやたら遅かったのと完全に専門馬鹿化してましたので、それもあり意外に有名作で読めてないのが多かったりします……恥。