Éd/zotérique

読書の備忘録

「煉獄」の誕生

 

神曲 煉獄篇 (講談社学術文庫)

神曲 煉獄篇 (講談社学術文庫)

 

 『神曲 煉獄篇』の冒頭、まえがきにもあるように煉獄という概念が誕生したのは十二世紀のことらしい。より正確には、1150年代以降にあらわれた概念だという。訳者の原さんによると、それまで死後の世界は天国と地獄しか存在せず、現実の身分も貴族階級(聖職者も含む)とそれ以外の人々(農民など)の二階級しか存在しなかった。だが、商業経済の発展により都市が勃興し、この頃に「市民」という第三の階級が出現する。そして、現実の身分階級が三つに分かれるのと呼応するかのように、死後の世界も地獄・煉獄・天国の三つに分かれたのだという。

 つまりは、煉獄の誕生と市民の誕生とは軌を一にしているわけですね。
 現実社会の階級に応じて死後の世界もというあたりに、妙に合理的というかヨーロッパ的な発想を感じてしまう。とはいえ、現実の身分が死後にまで引き継がれるわけではみじんもないのだが。

■語源
 フランス語で煉獄はPurgatoire、イタリア語ではPurgatorioという。語源はいずれもラテン語のPurgatoriumだが、この語に明らかなように、「浄める」「浄化する」という意味を持つ。

煉獄(れんごく、ラテン語: Purgatorium)とは、キリスト教カトリック教会の教義で、天国には行けないが、地獄に墜ちるほどでもなかった死者が清めを受ける場所のことである。『カトリック教会のカテキズム』では、「神の恵みと神との親しい交わりとを保ったまま死んで、永遠の救いは保証されているものの、天国の喜びにあずかるために必要な聖性を得るように浄化(清め)の苦しみを受ける人々の状態と説明する(Wikipedia「煉獄」)

 地獄に堕ちるほどではない罪を犯した死者が、罪の浄化をする場であるので、澁澤龍彦のようにむしろ「浄罪界」としたほうがイメージしやすいかもしれない(『胡桃の中の世界』)。これもまた前回と同様だが、ダンテの煉獄は、地獄が地底世界にある蟻地獄のような逆円錐形であるのに対し、煉獄はそれを完全に倒立させたような山となっている。七つの大罪に相当する七つの環道に、前煉獄と地上楽園を加えた九つの層からなり、バベルの塔にもどこか似た形状をしている。

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■そして、やっぱりなんか萌える
 試練の山のごとく煉獄山をひいこらいいながら登っていくダンテとウェルギリウス。その途次、ローマ詩人のスタティウスと出会い、三人で地上楽園へと到達するが、そこでダンテはベアトリーチェとついに邂逅を果たし、ウェルギリウスとは別れることとなる。師匠とはいえ、ウェルギリウスは異教徒なので天国へは行けない。地獄の住人なんですよね。この別れというか、いつの間にか先生がいなくなっていたことにダンテが気づくシーンがね、もう萌え萌えなんですよ……本当にもうどうしてくれようかと。
 三十歌より引用:

だが、ウェルギリウスは私達を残して
立ち去っていた、ウェルギリウス、やさしい父は、
ウェルギリウス、救いを求めて私自身の身を託した方は。

 滂沱の涙を流しながら、名前を三度も呼ばわるという。そして、ダンテのこの反応に対するベアトリーチェの言がかなり手厳しい。「海将」に喩えられるあたり、ベアトリーチェは優しい母や花の乙女のようなイメージではまったくないようだ。『神曲』を読む前は、勝手にそんなイメージを抱いていたのですが、完全に予想が外れましたね。

「ダンテ、ウェルギリウスが行ってしまったからといって、
まだ涙を流してはならぬ。まだ涙を流してはならぬ。
これとは別の剣によりおまえは涙を流さねばならぬ」。

 三回名前を呼ぶのに対し、「涙を流す」というフレーズも三回繰り返されている。ここで「三」という数字が反覆されるのにも何か意味があるような気がするけれども、研究者ではないので深い意味がありそうだと推測するだけにとどめておきます。まあ聖三位一体の三だし、それに『神曲』の中では散々こういう秘数が出てくるので、何らかの意味があってもおかしくはない。そして、これが三十歌であるという点も無意味ではないのだろうな……。
 本当はル・ゴフの『煉獄の誕生』を読んでから詳しいことを書きたかったのですが、ちょっと時間がかかりそうなので、とりあえず軽く書くにとどめておきました。後日、秘数についても少しリサーチしたいと思っています。種村季弘の本を読んだ時も出てきたはずなので。というか、すでに地獄篇も煉獄篇も再読したほうがいいような気になっているところ。延々とループすることになったらどうしよう。それもまた、いとをかし?

 【追記】ウェルギリウスについて知りたい方はこちらをどうぞ