グエルチーノ展とバロック等
グエルチーノはあまりよく知らなかったのですが、「バロック」の語につられて見に行ってきました。グエルチーノは本名ではなく、「やぶにらみ」という意味の綽名なんですね。なんか中二くさいと思ってしまいました(笑)。
バロック芸術は、プロテスタント側の宗教改革に対抗して起こった、カトリック側の対抗宗教改革を歴史的背景としています。カトリックの権威を高めるために芸術を利用したわけですが、こうして生まれたのがバロックという様式ということだろうと思う。
こちらの記事によると、対抗宗教改革とバロックはほぼ同義とみなしてよいそうです。
参考: 対抗宗教改革とイタリアの斜陽 ―17世紀ヨーロッパの美術 ―
バロックというのは、語源的にはポルトガル語で「歪んだ真珠」という意味ですが、顕著な明暗の対比や劇的な効果、過剰すぎる装飾などを特徴としています。
バロックという語は、真珠や宝石のいびつな形を指すポルトガル語のbarrocoから来ている(バロック - Wikipedia)
バロック芸術ではわたしはベルニーニの彫刻が好きなんですが、襞の表現が本当にみごとです。
天使*1の矢に射抜かれたアヴィラの聖テレジアのこの陶酔の表情がたまらないです(確か種村季弘か澁澤龍彦あたりが、アヴィラのテレジアをめぐって毒吐いてた記憶…どれだったかな…)。グエルチーノの絵画も襞の表現が精緻で実に巧みでした(自分でも少しだけ絵を描いたりするんですけど、襞って結構難しいですよね)。
特にこの絵の襞をジロジロ眺め回してきましたとも!
演劇作品ではシェイクスピアやコルネイユ、カルデロンなどがバロック演劇と言われるようですが、それと対極に位置づけられるのが古典主義ですね。こちらはラシーヌなんかが典型的なんだろうけれど、ラシーヌはかなり嫌いです(笑)。コルネイユとカルデロンは以前から読もうと思いつつ、まあ例によって例の如しですわ。
そういや、パスカル・キニャールがバロック芸術について書いてなかったっけ? とふと思い出しまして、記憶の奥底をゆるゆるとさらっているうちに、こういう記事にたどり着きました。
筆が滑って、キニャールの触れているボージャンの絵がルーヴル展にも来てた、とかなんとかうっかり書いちゃったんですが。ルーヴル展のはこちら「チェス盤のある静物」でしたね。
初めてパリのルーヴル美術館を訪れた頃は、なぜかバロックがマイブームで、ボージャンの絵(特にキニャールの触れている「ゴーフレット」のほう)とジョルジュ・ラ・トゥールをやたらと網膜に焼き付けた記憶があります(笑)。
そういえば、展示作品のなかにはヴァザーリの絵もありまして、ヴァザーリというと『列伝』のイメージが強すぎるあまり、一瞬ポカンとほうけてしまいましたね。えっと、なぜここにヴァザーリ? という感じで(われながら戸惑うにも程がありますが。完全に列伝のイメージで刷り込まれてました)。
ゲーテが『イタリア紀行』のなかで、かなりグエルチーノには触れてるようです(賛辞が多いらしい)。スタンダールと合わせ、そろそろこれも読まないとな……。
ついでに見た常設展入り口付近では、ロダンのバルザックを拝んできました。
バルザックはね、ブサメンモテ男の元祖なんだぜ……。
ブサイクなのにモテる理由……それはおそらく動物磁気のゆえです(真顔)。
参考図書:
魔の眼に魅されて―メスメリズムと文学の研究 (異貌の19世紀)
- 作者: マリア・M.タタール,Maria M. Tarar,鈴木晶
- 出版社/メーカー: 国書刊行会
- 発売日: 1994/04
- メディア: 単行本
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